隆達節歌謡(りゅうたつぶしかよう)
面白のお月や、二人見ばなほ
作者は高三隆達(たかさぶ りゅうたつ)。
『堺市史』によれば、『高三過去帳』(未見)に慶長16年11月25日に85歳で歿している、とあるので、逆算して大永7年(1527)の生まれということになります。以下『堺市史』によれば、姓は高氏、堺の顕本寺の子坊・高三坊の第一祖で自庵と称す。祖先は渡来人の劉氏。貞和の頃、高三三郎兵衛が堺に移住してきて、薬種を商う。「三」の字が重なるので、姓を「高」から「高三」に改めた。隆達の父・隆喜が菩提寺の顕本寺に一宇を営み、高三坊と称して、末子の隆達を住職とした。しかし、長兄の隆徳が病死し、しかも遺児の道徳は若年だったので、隆達が還俗して兄の跡を継ぐことになった。とあります。
浅野建二『中世歌謡』によると、祖は劉清徳、承安4年(1174)に来日。子の友徳は高三官と称したために、高を姓とし、高三郎兵衛と称した。以後、代々高三郎兵衛を名乗る。いつ頃か高三郎兵衛の略称の高三を姓とした。兄の隆徳が病死し、隆達が還俗したのは天正18年。とのことです。
4代目十返舎一九の『江戸端唄集』(高野辰之『日本歌謡集成』巻9所収)の序文には、泉州堺の顕本寺の住侶僧で、還俗して堺の町人で薬の問丸の何某の婿となる。とあります。
『堺の歴史』(角川書店・1999)もごくわずかに隆達について触れていますが、隆達の出生には触れていません。
いずれにしても、隆達は書にも歌にも優れていたらしいです。
隆達に関する説話がいくつかあります。機会を見てここに書き足していくつもりです。
●いつも見たいは、君と盃と春の初花
●あら何ともなの、うき世やの
●いとど名の立つ秋風に、誰そよ妻戸をきりぎりす
●海松布〔みるめ〕海松布を取り取るとて、様がやつるる
●愛は誓うて添ひはせで、月よ花よと見たばかり
●つれなかれかしなかなかに、つれなかれかし
浅野建二『中世歌謡』(塙書房)
小野恭靖『「隆達節歌謡」の基礎的研究』(笠間書院・1997)
高野辰之『日本歌謡集成』巻六・近世編(東京堂出版・1935)
小野恭靖編『「隆達節歌謡」全歌集』本文と総索引(笠間書院・1998)