WarcraftIIの歴史について

 WarcraftIIではオークキャンペーンを選択すれば、プレイヤーはオーク軍の一部隊長としてローデロン大陸を攻略し、最終シナリオで首都 ローデロンとヒューマンを攻め滅ぼすことになります。
 一方、ヒューマンキャンペーンを選択すれば、プレイヤーはヒューマン軍の一部隊長としてローデロンを防衛し、カズモダーン、アゼロスへ進撃して、最終シ ナリオでダークポータルを破壊することになります。

 後の作品のストーリーブックによれば、「史実」はこの二つのシナリオの中間、ややヒューマンキャンペーン寄りを歩んだ事になっているようです。
 また、一部の人物の動静についてなどは、ゲーム内の記述と「正史」との間に異同が見られます。

●ゲーム中ではオークとの和平交渉の会見に向かってから行方不明となる(おそらく罠にかけられた)アンドゥイン・ローサー代理王は、ブラックロック スパイアの戦いにおいてドゥームハマーとの一騎打ちで戦死したことになるようです。

●エンディングで破壊されるダークポータルは、史実では破壊しきれずに、代わりにダークポータルを見張るネザーガード要塞が築かれることになりま す。

●オークキャンペーンのエンディングムービーで殺されるメネシル王は、史実では生き残り、WarcraftIIIで息子アーサスに殺されることにな ります。IIでもIIIでも連続してムービーに登場するのは彼だけです。(そして二度とも殺される役です。)


●ヒューマンキャンペーンの最後で生き残ったオークたちは赦され、居住地を求めて逃亡する事を見逃されることになりますが、「史実」ではオークたちは赦さ れず、収容キャンプへ送られることになります。



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